日本庭園のアイコン

研究

中世という時代は、下賤の身とされた“〇阿弥”と僧侶・武士・豪商といったパワーエリートである“宗〇”が同時に現れます。両者を結びつけた舞台は以前別記事で書いた「会所」で、“〇阿弥”は「会所」で行われるイベントのディレクションを担っていたと考えられます。

いわゆる“日本庭園”を構成する要素も中世に出揃っています。平安時代の「作庭記」では部分的手法とされている枯山水が庭園様式として独立し、茶道の興隆とともに茶室・露地庭も誕生しました。今では日本庭園のアイコンとなっている蹲・石燈籠・鹿威し・飛石・延段などは露地庭で用いられたのが最初で、それ以前の庭園にはなかったものです。(あったとしても後世の改変です)

もちろん今でも、自然石の石組みと池・流れが日本庭園の主役なのですが、従来からの庭園に露地庭の要素が取り入れられるようになったのは桂離宮庭園の存在が大きいのではないかと考えています。桂離宮庭園は書院や向月台から眺める書院造庭園であると同時に、池の周囲に配置された茶室(4棟)と持仏堂(1棟)を巡る園路が設けられた池泉回遊式庭園でもあります。個々の茶室には舟でアプローチすることができますが、池を巡る園路は露地庭の手法が取り入れられており、視線の動きと景観の変化が巧みに計算されています。

江戸時代の初めに造られた桂離宮庭園と修学院離宮庭園は、のちの大名庭園に多大な影響を与えたと思われます。大名庭園は広大な敷地に様々な庭園手法を用いた池泉回遊式の庭ですが、そこには当たり前のように石灯籠や飛石・延段などが使われています。日本庭園のアイコンは、露地庭→桂離宮庭園→大名庭園→日本庭園一般へと拡がったのでしょう。

写真は岡山県津山市にある衆楽園です。

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