斐川平野には不思議が残る

たたら製鉄,出雲

“鉄穴(かんな)ながし”によって斐川平野が造られたかのように書かれた文章を目にすることがありますが、実際は少し影響があった程度ではないでしょうか。斐川平野(簸川平野・出雲平野)の面積は東西20km×南北8kmで約160k㎡、砂鉄採取のために斐伊川に流された土砂は累計2.2億m3だそうですから平野全体で平均すると1.4m程度です。“鉄穴ながし”によって造られた平野とするのはさすがに無理があるのではないでしょうか。実際のところ斐川平野は近世以降に拡大していますし、その要因として“鉄穴ながし”による廃砂の堆積はあるのですが、あくまでも平野が拡大するスピードを少し速めたということです。

斐川平野といえば築地松が有名ですが、松の樹形が整っている築地松は近世以降に土地が広がった平野の東側に多く存在し、西側は様々な樹種で形成された屋敷林といった風情になっています。

実用性一辺倒だった防風林が変化した理由にも興味は湧きますが、何よりも謎めいているのが築地松のフォルムです。築地松の剪定は陰手ごり(のうてごり)と呼ばれ、松の上部を水平に切り揃えていますが端部だけ斜め上に突き出しています。目の錯覚を補正するため実際の建造物をあえて水平垂直に仕上げない手法はありますが、築地松の斜めカットはその域を超えて明らかに尖がっていますし、出雲地方では石垣や生垣も端部がやたらと尖がっています。

最近の住宅では見かけませんが、出雲地方の古い茅葺民家は棟を反らせるのがスタンダードだったようですから、築地松や生垣も民家の反り棟に影響された可能性があります。反り棟は全国的に見てもかなりレアな存在ですが、地元でもあまり認識されていないようですしその由来も不明。正確に言えば出雲地方に残っている理由が不明ということです。

出雲地方の民家では、家を完成させないため(完成したら後は劣化するだけなので)という理由でに床の間にある小壁の裏をわざと仕上げません。これも最近の住宅では無くなった習慣ですが、古い民家でごく稀に目にすることができます。

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