陸(ろく)を(りく)にしてもいいの?
昔から陸屋根(ろくやね)は(りくやね)と誤読されることが多かったのですが、それでも建築・土木のプロが口にすることは少なかったように思います。しかし最近ではベテランの域に達している建築・土木設計者でも“りくやね”と思っている人が増えてき ...
もうひとつの大和天井
大和天井という言葉をご存じでしょうか。1階の天井を張らずに2階の床板裏面を天井替りにした仕上で、現しになる梁や板裏はそれなりに化粧を施すのですが基本的には簡素な天井です。別名“ささら天井”、床板を張るために渡した小梁を“ささら”と呼ぶ ...
近代的日本庭園の創始者たち
明治から昭和期にかけて日本庭園には新たな動きが生まれ、その影響は現在にも及んでいます。代表的な作庭家を4名紹介したいと思います。
七代目 小川治兵衛(おがわ じへえ) 1860~1933
近代日本庭園の先駆者と ...
玄丹流庭園・出雲流庭園 2
“玄丹流庭園”とは沢玄丹によって作庭された(とされる)庭を指しますが、“出雲流庭園”は出雲地方独特の庭園様式をもつ庭という意味合いで使われます。
康国寺庭園(拝観可能)、千家家庭園(出雲大社宮司家・拝観不可)、勝部家庭園( ...
玄丹流庭園・出雲流庭園
江戸も中期になると京都や江戸の庭園文化が地方にも拡がっていきます。その背景には参勤交代、経済活動の発展、寺社詣の流行など人の移動と情報の伝播が活発化したことが考えられますが、有力寺院などを中心に地方でも多くの庭園が造られていきます。
日本庭園のアイコン
中世という時代は、下賤の身とされた“〇阿弥”と僧侶・武士・豪商といったパワーエリートである“宗〇”が同時に現れます。両者を結びつけた舞台は以前別記事で書いた「会所」で、“〇阿弥”は「会所」で行われるイベントのディレクションを担っていた ...
写実から写意へ
“ニワ”しかなかった日本に“庭”という文化装置が大陸からもたらされ、その後、“庭”は“日本庭園”へと進化していきます。“日本庭園”が完成したとされるのは江戸時代初期ですが、そこで重要な役割を果たしたもののひとつが禅宗(特に臨済宗)です ...
ニワから庭へ
共同作業、集会・政(マツリゴト)、神降しに使われていた“ニワ”とは別に、大陸・朝鮮半島からの帰化人がもたらした“庭園”という文化装置が日本に入ってきたのはいつ頃なのでしょうか。
「日本書記」には、路子工が須弥山・呉橋を造っ ...
庭とニワ
庭園という言葉に使われている“庭”と“園”の元々の意味は、現在私たちが庭園という言葉からイメージする姿とは少しだけ異なるようです。庭(ニワ)は“广”と“延”の組合せですが、“广”は建物を、“延”はノベルと訓むように平らにすること、転じ ...
ドイツ壁について
最近読んだ本の中で気になる記述をみつけました。リシン掻き落とし仕上について書かれたもので、リシンは大正時代にドイツからはいってきた「リシンプッツ(商品名)」が一般名詞化したもの、当時、リシン掻き落とし仕上が大流行し、ドイツ壁(ドイツリ ...









